コラム

レシピブック"Gaia's Kitchen"には、たのしい仕掛け(?)がたくさんあります。

例えば「レタスなどを洗っているときに、ナメクジを見つけることがあるかもしれませんが、そのときは・・・」なんていうのは、オーガニック食材を使うからこその記述。

レシピタイトルには「"ウェインの"フレッシュハーブの渦巻きパン」「"ジュリアの"チョコレートケーキ」などなど、人の名前をつけているのも多く見られます。

そんなおもしろさやイギリスの食にまつわることなど、食べることの「周辺」をぜひお楽しみください。

コラム

春はすぐそこ

 

春が近づいてくると、思い出すことがある。

イギリスに住んでいたときのこと。その日もいつもと同じように、朝ラジオを聞きながら朝食を食べていると、元気のよいDJの声が勢いよく流れてきた。

"Good morning, everyone! Spring is just around the corner …"
(おはようございます! 春はもうすぐそこですね・・・)

"Just around the corner"とは、直訳すれば「すぐそこの角を曲がったところに」だが、「〜が近づいている」「間近に迫っている」という意味でも使われる。昔学校でこの言葉を習ったとき、あまり深く意味を考えずに「ジャスト・アラウンド・ザ・コーナー」と単に音だけで覚えていたように思う。

でもその朝、"Spring is just around the corner."というフレーズを聞いた瞬間、「春」が今まさに近くまでやってきていて、すぐそこのレンガ建てのビルの角を曲がるばかりという映像がパッと浮かんだのだった。今までそんなふうにビジュアルで感じたことがなかったので、その時に「見た」感覚はひどく新鮮で印象深いものとなった。

そういえば、「春はすぐそこ」と言われて「春はどこ?」と探しに行く、かえるくんの話がある。日本語で読んだときはあまりピンとこなかったけど、確かに「すぐそこの角(just around the corner)」まで来ていると言われたら、探しに行きたくなるだろうなぁと腑に落ちた。

さらに言えば、日本語で「もうすぐ春」というと、「もういくつ寝たらお正月」のように時間的な「すぐ」だが、英語の「just around the corner」は「すぐそこ」という空間的な「すぐ」で、その感覚の違いも面白く感じられたのだった。

さて、その「春」。
日本では「春」と言えば「桜」でピンク色のイメージだけれど、イギリスの春は、個人的は、青と黄色と明るい緑のイメージだ。

どんより曇り空の冬はグレー一色で色彩に乏しいけれど、春が近づいてくるにつれて爽やかな薄いブルーの空が広がり、黄色い水仙が咲き始め、芝生の緑も鮮やかに輝き出す。そんな「青・黄・緑」のコントラストを見ると、「あぁ、春だなぁ!」と気分が高揚して晴れ晴れとした気持ちになったものだった。

日本で悩まされていたスギやヒノキの花粉症からも束の間解放されて、実に何年ぶりかで春を満喫したあの感激は忘れられない。

高校生のときから花粉症を患っていた私にとって、長い間、春はただ憂鬱なだけで、ちっとも嬉しい季節ではなかった。けれど、一斉に木々が芽吹き、花々が咲き始めるイギリスの春を経験して、自然が眠りから覚める春、命が芽吹く春は「なんて素晴らしい季節なんだろう!」と心の底から思えたのだった。

「ヨーロッパでは、復活祭(イースター。春分の日以降、最初の満月の次の日曜日に祝われる)がクリスマスよりも大切にされている。それはイエス・キリストが復活したことと合わせて、再生の季節である春の到来を祝うからだ」というようなことを何かで読んだ記憶があるが、それもなるほどと納得できる。

四季折々、それぞれのよさがあるけれど、春がやってきたときの喜びはまた格別。はじまりの季節、喜びの季節である春を今年も楽しもう。

(2015年3月 飯田夏代)

人の作り出すもの

コラム

あの頃の思い出

 

時々ふとイギリスの雰囲気を味わいたくなったときに行くお店がいくつかある。

ローズベーカリーもそんなお店のひとつ。駅ビルの中にあるので、多少雑然とした感があるのは否めないが、広々とした店内や、必要以上にサービスしすぎないところがイギリスっぽく、懐かしい感じで気に入っている。

もともとはイギリス人のローズさんがパリで始めたお店なのだそう。素朴な料理が多いから好みは分かれると思うけれど、スコーンやキャロットケーキ、ショートブレッドなど、イギリスの味が楽しめるのが嬉しい。

インテリアはごくごくシンプルで、グリーンが飾ってあるほかは店内の壁に手書きのローズさんの言葉を綴った紙が張られているくらいだ。

そんな言葉のひとつが、こちら。
"As far back as I can remember my mother has made cakes, so they have played a large part in my life. --- ROSE"
(覚えている限りずっと前から、母はケーキを作ってくれていた。そしてそれは私の人生で大きな意味を持つようになった。--- ローズ)

これを読んだとき、「あぁ、わかる」と共感した。

私の母も料理が好きな人で、子どもたちが小さい頃から何かとお菓子を作ったりしてくれた。当時、母の愛用のお菓子作りの本があって、ピンクのハードカバーのその本は、私たち姉妹のお気に入りでもあった。スイーツなんて言葉もなく、ケーキは本当に特別なときのごちそうだった頃のこと。お菓子の写真を「美味しそう・・・!」と眺めて、うっとりしながらページをめくったものだった。

ハートやお花の型抜きクッキー。
それにアイシングやガナッシュを乗せてデコレーションしたもの。
リング型のパウンドケーキや、シェル型のマドレーヌ。
鮮やかな色のミントゼリー・・・。

今ではさして珍しくもないお菓子たちだが、そのときの私たちには憧れだったのだ。

少し大きくなってくると、私たちもクッキーの型抜きをさせてもらったり、泡立ての手伝いをさせてもらったりした。中古で譲ってもらったガス式のオーブンを点火して、天板に並べたクッキーやケーキをオーブンに入れたときや、焼き上がるのを待っている間に香ばしい香りが漂ってきたときのワクワク感は今でも忘れられない。

大家族で、決して裕福でもなかった家計のやりくりは大変だったはずだが、そんなことを感じさせず、いつも工夫して美味しいものを作ってくれた母には感謝しかない。なかでも、小さい頃にそうやってお菓子を作ってくれたこと、そしてその楽しさを教えてくれたことは、私の大切な一部になっている。そう、ローズさんと同じように。

思春期の頃、頭でっかちだった十代の娘がぶつける「人生論」に対して「お母さんは難しいことはわからない。料理を作ってあげることしかできなくてごめんね」と言う母に、内心失望して距離を置いたりもした。「食」を通して支えてくれていたことのありがたさがわかったのは、それからずいぶん経ってからのこと。今思うと、何にもわかっていなかったのは自分のほうだったと苦笑してしまう。

なんでもかんでも手作りがいいと言いたいわけではなくて、母親とはこうあるべきと言うつもりも、もちろんない。

小さいときに「お菓子作るのって楽しい!」とか「ケーキが焼ける匂いってなんて素敵なんだろう!」というワクワクした気持ちを味わえたことは、私にとって幸せだったなぁと、ただ思うだけ。

"You are what you eat.(食べるものであなたはできている)"というけれど、遠い昔、子どものときに味わったものやその体験も、きっと心の糧になっているのだと思う。

(2015年2月 飯田夏代)

人の作り出すもの

コラム

人の作り出すもの

 

家から少し歩いたところに、大好きなカフェがあった。

2階建ての小さな一軒家であるそのカフェは、白い外壁には緑の蔦が絡まっており、どこか外国を思わせる雰囲気だった。

ごくごく小さなお店で、1階のテイクアウトコーナーはお客さんが2人も入るとギュウギュウになった。レジの脇の細い階段をコツコツと上がっていくと、セルフサービスのカフェスペースになっていて、学生さんらしき人が勉強していたり、カップルがおしゃべりしていたり、一人静かに過ごしている人がいたりと、みんな思い思いにカフェの時間を楽しんでいた。

過去形で書いたのは、そのカフェは、去年の秋に別の場所に移転してしまったからだ。

移転後のお店も、元の場所から5分ほど歩いたくらいのところにあり、私の家からはむしろ近くなったのだけれど、そうなってから、なぜだか逆に足が遠のいてしまっている。

新しいお店は雑居ビルの1階に入っていて、前よりも天井も高く広々とした店内になり、新しいメニューも増えた。以前からなじみの店員さんたちも健在だし、これといって足が遠のく理由も見当たらない。

新しくなったことへの変化に、ただ自分が慣れてないだけなのかもしれない。そう思うと情けない気もして笑ってしまうが、たぶん、前のお店が好きすぎるのだ。そして、新しいお店はちょっとだけ客層が違い、自分のいる場所もないような気がして、なんとなく気後れしてしまっている。きっと猫が時間をかけて新しい家になじんでいくように、私も少しずつ、新しくなったそのカフェのなかにそっと自分の居場所を見つけていくのだろうと思う。

元のお店があったところは、ある日、建物が壊されてあっという間に更地になり、今は柵に囲まれただけの何もない土地になっている。そのうちマンションか何かが建つことになっているらしい。

それは半ば予想していたことだったけれど、なんにもなくなって何より驚いたのは、その土地の小ささだった。一人暮らしの私の部屋の、ひとまわり大きいだけのような土地なのだ。

この小さなスペースで、あの夢のようなお菓子たちが作られ、あの心地よい空間が生み出されていたのかと思うと、なんだか魔法を見せられていたような気がする。実際とっても小さなお店だったけれど、自分のなかではもっともっと大きな存在だったのだ。

このギャップは、平面の、2次元で見る土地と、3次元の立体で感じる空間との差なのだろうか?

それだけではきっとない。

その空間を作る人たちがいて、その人たちが大事にしているモノたちがあって、できあがっている場所だからこそ、あのカフェはしっかりとした存在感があって、私の中でも特別な位置を占めていたのだ。

人が生きて、何かを作り上げていくってすごいことなんだと思う。たとえそれが形あるものでなくても、その人がいるだけで、その場所の空気が作られていく。

だとしたら、できるだけ日々をご機嫌に過ごして、いい空気を作り上げていきたい。楽しくて幸せな空気、心地よい空間を作り出したいなと思う。

(2014年1月 飯田夏代)

人の作り出すもの

コラム

イギリスの冬

 

イギリスの冬は暗くて寒い。誰もが声をそろえてそう言う。

確かに、冬は午後3時を過ぎるともう暗くなってくるし、朝も9時くらいまでは真っ暗だ。7時台に朝食をとっていても、朝5時くらいに早起きして食べているような気持ちになったりする。そして、日が昇ってからもたいていはどんより曇り空で、重たい雲が空を覆っていることが多い。

冬でも青空の広がる東京で育った私も、イギリスで初めての冬を過ごしたときには気が滅入って仕方がなかった。ちょうど渡英して3カ月ほど過ぎ、現地の生活にもだいぶ慣れてホッとしたこともあったのだろう、気が抜けたように何もやる気が出なかったり、風邪を引いたりしてしまって調子が悪い時期と重なって、イギリスの冬の最初の印象はあまりよくなかった。

それでも、冬には冬の美しさがあって、楽しさがある。それに気づいてから、どんどんイギリスの冬が好きになった。

グレイの曇り空をバックに、まるで繊細なアイアンレースのように枝が広がるオークの木々の美しさ。夕日が沈む前の短い時間に移り変わる空のグラデーション。

しびれるほど冷たい、でも清々しい冬の空気。ごくたまにパァッと広がる青い空のまぶしさ、ありがたさ。

暗くて寒いからこそ嬉しい室内の明るさ、暖かさ。そしてそんな室内で熱々のココアや濃いミルクティを飲むときの幸せな感じ。さらに暖炉があれば言うことなし。

そんな日常のなかのささやかな幸せに気がついて、しみじみといい季節だなぁと思うようになったのだ。

それに加えて、イギリスの冬にはどこか、ほかの国にはない郷愁のようなものがある。冬が暗くて寒いのは、北国ならばいずこも同じだし、北欧やドイツなどのほうがもっとずっと寒いのだけれど、なんだろう、どこかもの悲しいような、それでいて懐かしいような感じが、イギリスの冬にはある。あくまでも、個人的な感覚なのだけれども。

冬はそして、温かいお料理やお菓子がとりわけ美味しい季節でもある。グツグツ煮込んだシチューや、オーブン料理。立ち上る湯気や、部屋中に広がるケーキの匂い。クリスマスの時期に飲む、スパイスたっぷりのモルドワイン(ホットワイン)・・・今思い出しても、ほかほかと心が温かくなってくる。

実際には「寒い」を連発し、暖かい春を待ちわびたりもするのだけれど、私にとって、イギリスの冬は懐かしさとともに思い出す、温かい季節なのだ。

【おまけ】

ガイアズ・キッチンの料理も、寒い日々にぴったりのレシピがたくさんあります。たとえば・・・

ナットロースト

ペリカン・パイ(野菜のクランブル)

・キッシュ(ブロッコリーと赤ピーマングリル野菜とクルミ

リンゴのタルト

フルーツケーキ

クリスマスや新年など、家族や友人が集まる機会も多いこの季節、ぜひみなさんで味わってみてください!

(2013年12月 飯田夏代)

イギリスの冬

コラム

イスがないだけ

 

海外ドラマや洋画が好きで、DVDをたくさん借りてきては一気に見ることがときどきある。

日本の作品にも面白い、よい作品がたくさんあるけれど、「海外モノ」はなんというか、日本にはない勢いとか思い切りのよさ、どこか吹っ切れたパワーがあふれているように感じる。また、ちょっとしたセリフや何気ないひとことにハッとしたり、元気をもらったりすることも多く、海外モノを見るのはよい気分転換になるのだ。

いくつかあるお気に入りのドラマのなかに、こんな話がある。

主人公の親友でバリバリのワーキング・シングルマザーMが子育てに孤軍奮闘するエピソード。夜泣きする赤ん坊に手を焼き、近所のママたちともうまくいかず「私はなんてダメな母親なの」と落ち込むM。泣き止まない赤ちゃんを前に途方に暮れていると、同じく子育て中の隣人Kが訪ねてくる。赤ん坊をあやすための電動イスを貸しにきてくれたのだ。こんな言葉とともに。

「You are not a bad mother. You just didn't have a chair.」
(あなたはダメな母親なんかじゃないわ。ただイスがなかっただけなのよ)

このセリフが、とても好きだ。

うまくいかないことがあると、つい自分を責めてしまいがち。「自分ができないのは、ダメな人間だから/才能がないから/性格のせいだ・・・」と。でも実は人格や才能には関係なく、単にツール(たとえば、赤ちゃんをあやすイス)がないだけだったりする。

行き詰まっているときは誰しも、どうしても視野が狭くなってしまう。そして自分を責めて落ち込み、そこから抜け出せないという魔のループにはまりこんでしまいがちだ。

でもそんなとき、ちょっと一歩引いて見てみると、ふっと今の自分に足りないものが見えてきたり、意外に簡単な解決策がわかったりする。具体的にどうすればいいかがわかるし、気持ちも楽になって前に進んで行けるのだ。

うまくいかないのは、イスがないだけ。

いつもそう言える心のゆとりがほしいと思うし、うまくいかなくて悩んでいる人や困っている人がいたら、イスをそっと差し出せる人でありたい。そう思う。

(2013年11月 飯田夏代)

イス

コラム

自分だけの場所

 

今住んでいるアパートの近くに、大きな木のある公園がある。遊具類は何もなくて、ただ、とても大きくて立派な木が何本かあって、中央には芝生が広がり、そのまわりには四季折々に花が楽しめる低木や草花が植わっている、広場のような公園だ。その立派な木の中で、ひときわ大きなケヤキの木が大好きで、出かけるときには、そのそばを通って木を見上げるのがなんとなく自分だけの決まりになっている。

誰もが子どものときに、ちょっとした小道や広場の一角、お気に入りの木や茂みなどを自分だけの秘密の場所にしていたことがあるのではと思うけれど、私にとってのそのケヤキも「自分の木」で、特別な思いを(勝手に)抱いている。その立派な立ち姿を見たり、気持ちのよい木陰で一息ついたりすると、なんだかとてもホッとするのだ。

5月になって、木々の葉も、新緑の淡い緑からしっかりした濃い緑に変わってきた。"私の"ケヤキも気がつくと葉が生い茂って、見ているだけで緑の風が吹き抜けるような気がする。

平日・週末に限らず、日中の公園は子どもたちの格好の遊び場で、ともすると「ここは幼稚園?」と思うくらい、子どもたちや、子ども連れのファミリーでいっぱいなのだが、朝や夕暮れ時、星が瞬く夜などは、ひっそりと静まりかえっている。そんな誰もいない時間に、ケヤキの木の下でひとりボーッとするのはなんとも心地よい。寒くもなく暑くもないという今の時期には、少し早起きをして出かけ、自分だけのティータイムを楽しむのもいい。熱々のミルクティーやハーブティーなど、その日の気分でマイボトルにお茶を詰めて、公園に向かう。さわさわと葉が風に揺れる音を聞いたり、何も考えずにただ緑を眺めたり。なんということはないけれど特別な、心地よい時間だ。

イギリスにいたときも、ところどころに、そんな「自分だけの場所」や「自分の木」を持っていた。

たとえば、寮の入り口に通じる道の最初に、ひとりで(と言いたくなる)立っているオークの木。枝ぶりが見事で、春や夏もいいのだが、すっかり葉が落ちて枝だけになった冬の時期、どんよりとしたグレイの空をバックにした姿は美しい影絵を見ているようで、いつも胸がギュッとした。

ほかにも、キャンパスの林の中にひっそりと立つ大木や、裏門に続く並木道、隣接する麦畑を見下ろす、ちょっとした丘のようなところに立つ一本の木など。そばを通るたびに、心の中で「ハイ」と呼びかけてみたり、そっと触れてみたり。レポートがうまく書けなくて落ち込んだり、ときどき妙にホームシックになったりしたときも、そういう木の友だちに会いに行ったりしたものだった。

去年の夏、ちょっとだけ滞在したハワイでも、そんな場所がいくつかあった。ハウスシェアさせてもらっていたロミロミの先生の家の近くにあった、やはり大きな木のある公園。家から見上げるダイアモンドヘッド。そしてそのダイアモンドヘッドを見ながらてくてく歩いた帰り道。その道は、坂をひたすら登るのでかなりいい運動になるのだが、坂の上から見下ろす青い海は何度見ても素晴らしく、さらにタイミングがいいと見事な夕焼けも見えたりして、疲れも忘れて歩けるのだった。今でも「ハワイ」と聞いて、何より真っ先に思い出すのは、ダイアモンドヘッドとあの坂道だ。

大人になった今、とっておきの場所というのは、子どものときとは違ってお気に入りのカフェだったり、行きつけのお店だったりもする。それでも、「あの木」や「あの山」のように、身近な自然の中に自分だけの場所を見つけると、その土地への愛着やつながりがグッと深まるような気がするのはなぜだろう。家の近所ならここ、職場の近くならあそこ、旅先で訪れたあの街にはあの場所に・・・とあちこちにそんなところがあると、なんだかワクワクするような、楽しいような、豊かな気持ちになる。

あなたの特別な場所はどこですか?

(2013年5月 飯田夏代)

イギリスの木

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料理の魔法

 

イギリスに留学していたとき(それはシューマッハー・カレッジではなく、イングランド中部にある大学だったのだけれど)、大学内の寮に住んでいた。

女子ばかり8人が暮らす、2階建てのコテージタイプの寮で、個室ではあるものの、バス・トイレ、キッチンは共同だった。日本人は私ひとりで、あとは台湾やインドからの留学生、そしてイギリス人の女の子たち。

キッチンが共同だと、食事の時間が重なる人たちとは自然と仲良くなって、互いの料理をシェアしたり、レシピを交換しあったりした。特に声を掛け合わなくても、誰かがキッチンにいる気配がすると、ひとり、ふたりと集まって、よく一緒に食卓を囲んだものだった。

勉強に行き詰まって、キッチンでお湯を沸かし紅茶をいれて一息ついていると、そうした物音を聞いて部屋から出てくる友だちもいて、息抜きにおしゃべりしたり、お菓子をつまんだり。

ひとつ屋根の下に暮らしていると、なんだか家族のような気持ちが芽生えてきて、実際、クラスメイトよりも専門の違う寮の友だちのほうがずっと近しい存在だった。寮生活で仲良くなった友だちとは、10年近く経つ今でもやりとりが続いている。

もちろん、いろんな人がいるから、話の合わない人もいたし、一年一緒に住んでいても一定の距離を保ったままの人もいた。

隣の部屋に住んでいたイギリス人のMはそんな一人で、すれ違うといつもニコッとはするものの、必要以上にしゃべらないし、いつもみんなと距離を置いて一人で過ごしている人だった。最初は「私が留学生だから敬遠しているのかな?」とも思ったけれど、イギリス人の子たちとのつきあいも淡々としていたから、そういう人だったのだろう。人によっては冷たく感じるかもしれない彼女の態度も、私には自分の世界をしっかり持っているように感じられて好もしく感じられたが、ずっと打ち解けられないままなのが少し寂しくもあった。

そんな彼女とちょっとだけ近しくなれたことがある。

留学生活にもだいぶ慣れてきたころ、趣味のお菓子作りをする余裕が出てきて、ブラウニーやバナナケーキなど、簡単にできるスイーツを作っては「Help yourself(ご自由にどうぞ)!」とメモをつけてキッチンに置いておくような時期があった。(今考えると、ある種のストレス解消だったのだろう。)

あるとき、ふと思いついて、ブルーベリーやラズベリーなどをたっぷり使った(でも簡単な)ベリーのタルトを作ったところ、珍しくMが「これあなたが作ったの?」と話しかけてきた。聞くと、彼女の大好物なのだそう。いつもクールな彼女が、子どものように嬉しそうにタルトをほおばる姿がなんだか微笑ましく、自分の作ったものを喜んで食べてくれたことも素直に嬉しくて、一気に心の距離が縮まった瞬間だった。

もちろんそれ以降、急激に仲良くなったというようなドラマチックな変化があったわけではないのだが、前よりもお互いに相手を認め合っているような感覚があり、一品の料理が人の心をグッと近づけることができるんだと実感した。

一緒に料理をつくったり、つくった料理を一緒に味わったり、「おいしいね」と言いながら同じ料理を分け合ったり。そんな、ささやかだけど幸せな瞬間が、人と人とをつないでくれる。

料理は、日常のなかの、ちょっとした魔法なんだと思う。

(2013年4月 飯田夏代)

いちごのデザート

コラム

待つ時間

 

秋になってから、いくつか植物を植える機会があった。料理に使ったあとにとっておいたアボカドの種やハワイで買ってきたティーリーフの苗など。どれも芽が出るのを楽しみに待っていた。けれど、予想に反してなかなか芽が出てこない。なんとなく、「すぐに芽が出るだろう」という思い込みがあったから、待てど暮らせどウンともスンともいわない鉢たちを眺めながら、「どうしたんだろう」「植えるタイミングが悪かったんだろうか」なんてあれこれ考えていた。

数週間経ってもそのままなので、あきらめかけていたところ、ふと気づくと、土の中からひょっこり緑色の芽が次々と出てきた。春から植えて育てているプルメリアも、いつの間にか葉っぱが大きくなっている。

土の上では何の変化も見られないから、「もうだめかな」なんて思っていたけれど、土の中ではきっと、芽を出すために養分を吸収しながら力を蓄えていたのだろう。

「種をまいたらすぐに芽が出て育ってほしい」なんて人間の勝手な考えで、植物の時間はもっとゆっくり。社会のスピードをゆるめようという「スロームーヴメント」に共感しながらも、「待てない」自分に苦笑。すぐに成果を求めようとする現代社会の在り方に、相当毒されているなと気づいた。

何かをただ待つのはつまらないと思ってしまいがちだけれど、そもそも何かが成長するには時間がかかるものだし、時間をかけてこそできることもたくさんある。

たとえば、味噌をつくったり、梅酒をつくったりするときも、漬け込んでから数カ月寝かせることで、熟成し、うまみが出ておいしい味噌やお酒になる。一度、梅酒を漬けてから2カ月くらいのときに、待ちきれなくて一口飲んでみたことがある。「もうできてるかな?」とワクワクしながら口に含んでみたけれど、全然おいしくなくてガッカリ。それからさらに数カ月おいて開けてみると、香りも味もまろやかになり、おいしい梅酒ができていた。おいしいものをつくるには、時間をかけることが大事なんだと痛感した。

たいていのことはお金を出せばすぐに手に入るけれど、あえて、時間をかけて料理をしたり、何かをつくったり、種から植物を育てたりしてみると、いろいろな発見があって面白い。ときどきは「せっかちな自分」を脇に置いて、待つ時間も含めて「つくること」や「育てること」を楽しみたいと思う。

(2013年3月 飯田夏代)

シューマッハー・カレッジのさくら

コラム

イギリスはおいしい?

 

「イギリスで暮らしていた」と言うと、必ずと言っていいほどよく聞かれるのが「それじゃあ、食事に困ったでしょう?」ということ。『イギリスはおいしい』という本のタイトルが話題になってしまうくらい、「イギリスは食事がマズい」というのがまだまだ一般的なイメージのようです。

一方、私のイギリスの食に対するイメージはというと、「マズくて仕方がない」「食べるものがなくて苦労した」というネガティブな印象はあまりありません。もっとも滞在中は自炊がメインだったので、自分の好きなものを作って食べていたことが大きいと思いますが、外食の際もそれほど困った記憶がないのです。中には「ちょっとこれは・・・」ということもありましたが、でも日本でも、他の国でも、そういうことは多かれ少なかれありますよね。

それよりもイギリスで嬉しかったのは、オーガニックの食材や、フェアトレードのコーヒー、紅茶、お菓子などが、環境や社会に配慮した商品が普通にスーパーの棚に並んでいたことです。当時、日本ではまだまだオーガニックの食材は手に入りにくく、買えるとしても、自然食品店など、限られたお店でしか販売されていなかったのに、イギリスでは気軽にスーパーで手に入るのです。オーガニックの食材も野菜や果物だけでなく、牛乳やヨーグルト、チーズなどの乳製品、パスタなどの乾物類、パン、お菓子などさまざまな食材が普通に並んでおり、とても感激しました。その他にも、ベジタリアン用の商品(菓子類や冷凍食品などの加工食品)にはそれとわかるようにマークがついているなど、生活者が選べる仕組みがあるのもとてもよいと思いました。

最近ではロンドンを中心におしゃれなオーガニックのレストランやカフェ、新鮮な食材が手に入るファーマーズマーケットなども増えているようです。イギリスの食の動きにこれからも注目していきたいと思います。

(2010年12月 飯田夏代)

りんごがり